そのほか そのⅤ
詩的な広がりと大きなメッセ―ジ あるひあるとき(あまんきみこ文、ささまやゆき絵、のら書店)2020.8.20
この絵本は第二次世界大戦末期、中国の大連から日本へひきあげた体験をもつ著者あまんきみこさんによる切実なおもいをこめた主著といえる。
絵本という形式をもって小さな子どもたちへ戦争とそのおもいを伝えることは容易であるはずはないけれど、著者は《こけし》との関係性を自らが体験した戦争末期のようすと現在を相対化することでその時代に生きた幼い子どもの精一杯のよろこびと哀しみをみごとに描いている。おもえば、時代を超えて子どものイノセントな感覚はその時の不条理を明確に顕在化させるものである。
『僕たちの家に帰ろう』(中国)、『ミツバチのささやき』(スペイン)、『泥の河』(日本)、『さよなら子供たち』『禁じられた遊び』(フランス)、『友だちのうちはどこ』(イラン)、ライフ・イズ・ビューティフル(イタリア)など子どもと戦争を描いた映画も多々あるけれど、最近になって観た中では『ジョジョラビット』(アメリカ?)もそうだった。この絵本の帯には「あのとき、せいいっぱい生きていた 幼い子どものこころ」とあるけれど、子どもはいつでもどこでも精一杯に生きている。
著者はどこかで次のように述べている。大連での体験は、26年前に出版社の小冊子に《ある日ある時》というタイトルでエッセイとして発表したことを機にそれを物語にしようと考えて来たけれど、どうしてもできなかったという。だが、あるとき小さな「わたし」と今の私の距離がふっととれた瞬間があり、あの時の自分と向きあえることができた・・・と。
このお話しはあかるくのびやかに今を生きるユリちゃんが大切にしている《こけし》をみつめながら、著者が幼いころ大切にしていたハッコちゃんという《こけし》をおもいだすことでその時代のこと(戦争)を描いていて小さな子どもたちにもやさしく伝えている。
ささめやゆきさんの絵もクレヨン画で著者がいつもハッコちゃんを大切にしているように丁寧に描かれている。
著者は願いと祈りをこめて戦時下に生きた幼い子どもたちがいたことを伝え、この絵本の中のユリちゃんたちのあかるくのびやかな笑顔の未来がいつまでもつづき、ひろがりますように、としている。
きわめてシンプルな絵本であるけれど、はかり知れないほどの詩的な広がりと大きなメッセ―ジを感じさせる名著といえるのではないだろうか。
《居候》的散文のスタイル 戸惑う窓(堀江敏行著 中公文庫)2020.8.10
なるほど、『戸惑う窓』とは言い得て妙だな。この作家ならではのしゃれた表題というだけでなく、〈窓〉そのものがもつメタファーとも受けとれる不思議な広がりを感じさせる。いうなれば、本著は堀江さんご自身の体験にもとづく〈窓〉を訪ねる25篇からなるもので、この作家の〈窓〉の記憶とその考察ということになるのだがエッセイともポエムともはたまた評論ともいえそうな知的で洗練されたその散文の呼吸はそれ自体が作家特有の文体であり堀江文学のスタイルといえる。
おもえば、初期の『郊外へ』から『熊の敷石』『いつか王子駅で』『雪沼とその周辺』、最近になって読んだものでは『その姿の消し方』『もののはずみ』にしてもそのスタイルはどれをみても共通しているといえる。そのことはすでに著作『回送電車』において〈居候〉のダンディズムという回送電車の存在価値を自ら理想とする姿としてその文学的立ち位置をはっきりと宣言されていることからも肯ける。
それにしても『雪沼とその周辺』にある一篇『イラクサの庭』の雨の描写でもそう思ったのだが、その知的で洗練された文体には本当に驚かされるばかりである。
採光や遮光というカメラのシャッターとおなじ機能をもつ窓に精神的な明暗と開閉の暗示を見ることはたやすいのだが、日常生活における窓には、人や物が出入りする穴という、もっと実用的な役割もある。(p39)
確かにそうだ。高松伸の設計による植田正治写真美術館を訪ねたときも部屋そのものがカメラの暗箱になっていて逆さになった大山が巨大なレンズ窓からの光による景色として映し出される仕掛けとなっていた。それにしても『戸惑う窓』とはこうした実用的な役割だけでなく、謎めいた不思議な広がりを感じさせるところがある。それは何を意味するのだろう。
窓については個人的にもずいぶん悩まされたこともあるけれど、それは室内を形づくる壁やそこに掛けられた絵画とはちがい、まさしく次元を異にする窓口のようでもあった。たとえば、室内全体を意識した空間造形を考えるとき物理的に二次元の壁や絵画のように考えるとそれこそ失敗の原因となったし、それは三次元的な奥行きをもつ特別のスペースだったのだ。ただ、ジェームス・タレルの天窓からの眺めはまた格別の宇宙的な広がりを感じさせるのだが、堀江さんならタレルの天窓の世界をどのように表現されるだろうか、などと勝手な空想にふけりながらこの『戸惑う窓』を読んでいたような気がする。
いうなれば、『戸惑う窓』とは著者が接した絵画や小説や映画のほかに、パリの中庭や街並みにみられる窓の景色のほかに窓そのものについての考察などその背後に広がる記憶や意識その経験のあり方と奥行き自体がそのまま小説になったとも考えられる。たとえば、「窓と扉のあいだで」と題したマチスの《コリウールの扉窓》「という作品についての記述は次のようになっている。
この絵が《コリウールの窓》に留まっていたら、深い瞑想を思わせる闇と明るい色の組み合わせにふさわしい直線のリズムは生まれなかっただろう。色彩の音楽の中で、一歩向こうに広がるなにかを期待させる窓、それが扉窓ではないか。(p44)
窓よ、お前は期待の計量器
一つの生命がもう一つの生命へと
思い溢れてみずからを注ぐとき、
幾度となくお前は期待で充たされる。(矢内原伊作訳)
絶えず変化する海のように、
引き離したり引き寄せたりするお前 ―
そのガラスの上で急に私たちの姿が
向こうに見えているものの姿に混ざりあう。(堀辰雄訳)
マチスの絵が、このリルケの揺れ動く「窓」を連想させずにおかないのだ ― 曖昧な恐怖を内包した「窓」の、深みのある表面という、ついに解決できない謎の体感を。(p46)
まさしく、文学者ならではの独特の感覚というほかないけれど、偶然にもマチス、ワイエス、ボナール、ハマスホイといった思いがけない人物名の登場といい、「仕立て屋の恋」「裏窓」「箱男」といった映画や小説などについても紹介されていて、本著は体験を共有できた嬉しさとともに親しみを感じる身近な一冊となった。
屈折と欺瞞の謎 日本戦後史論(白井聡 内田樹共著 徳間書店)2020.7.30
本著は話題となった白井聡著「永続敗戦論」が刊行されたばかりの頃に企画され、白井氏とともに幅広い知見で知られる文学者で哲学者、武道家でもある内田樹氏との三度にわたる対談をまとめたものとある。帯には「この国を覆う憂鬱の正体」「戦後70年、“敗戦の否認”の呪縛を直視せよ!」とあり、たいへん興味深いフレーズがひときわ読者の眼をひく。
冒頭、白井氏は政治を学問的に取り扱う際の手続きとして、二十世紀前半の二つの世界大戦をふまえ二十世紀後半の人文・社会科学は、ナショナリズムとしての愛国主義に対する批判的解明の作業を進めることになった、として次のようにいう。
これらを踏まえたうえでなお、内田さんと私の対談は愛国主義を打ち出すものとなりました。その理由は、一つには、ならず者たちの愛国主義が猖獗を極めているという事情があります。上は内閣総理大臣から下はヘイトスピーチの市民活動家に至るまで、郷土への愛着は何ら感じられない一方、幼稚な戦争趣味と他国民への攻撃性だけが突出した悪性のナショナリストたちが、愛国主義の旗印を独占しています。これらの輩が、愛国者面をした単なるならず者であることを徹底的に暴露しなければなりません。(p6-7)
本著では日本人にとって戦後とは何だったのか。いま起きている問題の根底にあるものは何か、として四章に分けてまとめてあるけれど、対談は両者の深い見識と歴史文化を包括しながら俯瞰的なまなざしでこの国のアイデンティティにかかわる屈折と欺瞞にみちた謎の解明に明晰なロジックで切り込んでいてたいへん分かりやすくおもしろい。とりわけこの国の戦後史において、世界中の国々が日本はアメリカの属国だと思っていても日本だけが自分は主権国家だと思っている。これほど奇妙な敗戦国は世界史上類を見ないという。この国の支配層が敗戦の責任追及から逃れる術として、冷戦構造の中においてアメリカ陣営に付くことで、かつての敵をこれからは仲間と思い込むことにした。これが敗戦の責任を有耶無耶にするメカニズムだと白井氏はいう。さらに、「永続敗戦」という概念について次のように述べている。
第二次世界大戦が終結し、日本にとっては敗北という形で終わりました。この純然たる敗北、文句なしの負けを、戦後の日本はごまかしてきた。これを私は「敗戦の否認」と呼んでいます。(p90)
また、戦後の日本は民主的な国家になったと言われますけど、それは虚構だという。
対国内的には敗戦をごまかし、アメリカに対しては無条件降伏しました。お手上げです。日本の保守政治勢力はアメリカの許しの下で権力の座に留まった訳ですから、彼らがアメリカに対して頭が上がるわけがありません。これが対米従属と呼ばれる構造を形成した根本原因です。こうやって日本はアメリカに永遠に負け続ける。(p92)
一方、内田氏はこの国の文化的特殊性というか、日本社会がもっている固有の人間関係の特殊性から、この「対米従属と対米自立」構造についてこれを「のれん分け戦略」と説明する。われわれ日本人にとってはそんなに違和感のあるものではなくなじみやすいものだとし、いうなれば忠義を尽くし利害の完璧な一致を誇示することで独立を獲得する、という考え方だとしている。
しかしながら、第二次世界大戦後の世界秩序を見れば、ソ連の子分になるか、アメリの子分になるか、選択肢はなかったことを考えれば単に対米従属そのものを批判しても仕方がない。また、55年体制を前提にすれば、アメリカべったりの自民党とソ連寄りの社会党の構造だからこそ、国家主権や相対的な自立性が確保されたという。さらに、平和憲法の立場の問題もあった。だが、55年体制は崩れ冷戦終了後も対米従属が続くのはなぜか。
とりわけ統治システムにおいて、戦前の天皇が占めていた位置にワシントンが入る形で永続敗戦の構造を戦後の国体とすることになった。だが、内田氏は次のように分析する。
東西冷戦構造が解体して、世界が液状化したことによって今まで日本人が使ってきた「ワシントンの大御心」を忖度するという戦略が機能しなくなってしまっている。そのせいで、日本の外交は右往左往している。アメリカだって複雑な外交戦略を展開しているわけですけど、その複雑な変数を処理できるだけの演算能力がもう当のアメリカにもない。(p101-102)
これはじつに由々しき事態であるけれど、誰もその責任を取ることはなく非決定的な「ことなかれ主義」が蔓延する。安倍政権が主張する《戦後レジュームからの脱却》《美しい国、日本》とは何か。ますます劣化する国状とともに憲法改正をとなえ対米従属を強化するベクトルとなっているのは誰の目にも明らかだろう。この理解しがたい矛盾にみちた美しさとはこれこそ大いなる欺瞞以外の何ものでもない。
けだし、国体という観点からみても日米合同委員会で承認された地位協定は主権国家としての権利を侵害した不平等な協定にもかかわらずそのことを主張することは一度もなかった。それこそ属国でありながら主権国家、民主主義、平和主義などと《ごっこ遊び》に明けくれ経済発展を遂げることで状況を受入れる他なかったのかもしれない。
おしまいには「日本人の中にある自滅衝動」という第四章、話はついに安倍首相の人格乖離にまで及ぶことになり、内田氏は次のように分析する。
政治家になる過程で、彼はかなりいろいろなものを切り捨ててしまったんだと思います。優しくて、人の話をよく聞いて、穏やかな人物では政治の世界を生き抜けない。別人のペルソナを借りるしかない。生身の自分の弱い部分を切り離して作ったバーチャル・キャラクターだから、やることが極端なんです。生身の身体をひきずっていると、言葉づかいはもっと曖昧になるし、もっと深みも出てくる。(p202-203)
これに対して、白井氏はついにインポ・マッチョという性質の悪さ、すなわち自分がインポであるということを何がなんでも否定することになり、換言すればこれが「敗戦の否認」だとしている。
だが、どこの国でも「不都合な事実」は否認されるものだとしてそれが統治や社会システムの歪みの原因となる、と内田氏はいう。アメリカにおける原住民虐殺と奪略の歴史、フランスのヴィシー政権の隠蔽、また、ドイツはどうかといえばナチスにすべての「穢れ」を押しつけて、「一般ドイツ人はナチス独裁の犠牲者だった」という物語を基礎づけた。
とりわけ、日本はその意識がきわめて強いけれどもドイツになれなかったのは天皇の訴追ができなかったことで独自の《否認》を考える他なかった。そのことは歴史修正主義へと姿を変え《敗戦の否認》、すなわち《永続敗戦レジューム》へと帰結していくことになった。
日本の「占領時代」何があったか、アメリカの情報開示を待つしかないのだろうか。だが、岸信介も賀屋興宣も正力松太郎もCIAの協力者リストに名前があるという。その末裔たちが今も政権中枢にいることを思えば、特定秘密保護法制定を急いだ理由もその実態を隠蔽する目的があったということなのか。この対談を通じて白井氏は自ら打ち出した《敗戦の否認》という概念を深めていくヒントを得たという。否認という概念はフロイトの精神分析学に起源を持ち明白に病的な状態だといえるがこれを治すことは簡単ではないという。だが、これを認めることからしか話は始まらないとして、永続敗戦レジュームの中核層やその支持層こそこの病気を深く患っているとしている。
本著は大胆なロジックと的確な言葉によるきわめて良質の戦後史論となっている。
ワンルームの部屋を去る時まで 幽霊たち(ポール・オースター著 新潮社)2020.7.3
この小説「幽霊たち」はP・オースターのニューヨーク三部作の一つといわれ、この作家ならではの現実と非現実が入り交じったようなストーリー展開と設定で書かれている。それゆえに抽象的な趣が漂っているといえる。作品の表題となっている《幽霊》とは何を意味するのだろう、と不思議な気がするのだ。登場人物の名前でさえ、固有名詞ではなくいうなれば記号化されたブルーとかブラック、ホワイトというシンプルな呼び名が使われている。
報酬は毎週小切手を郵送する。それからホワイトは、ブラックの住所、人相などをブルーに伝える。日にちはどのくらいかかりそうでしょうか、とブルーが訊ねると、わからない、とホワイトは答える。とにかく次の指示があるまで、報告書を送ってくれ。(p4)
私立探偵ブルーがホワイトから依頼されたのはブラックという人物の監視とその報告をするだけの仕事だった。ブルーはブラックを監視するため通りを隔てた向かいにある褐色の石造りの四階建てアパート、そのワンルームの部屋を用意されそこから窓越しに見えるブラックのようすを覗い報告するのだ。いうなれば、きわめてシンプルで退屈な仕事といえる。
若いころ、スティーヴン・スピルバーグ監督作品『激突』という映画を観たことがある。その映画は一台の大型タンクローリー車を追い越したことからか、今度は逆にその大型車に追われるようになり、精神的にも追いつめられる内容の作品だった。最後はどうなったか定かではないが、きわめてシンプルな設定でおそらく制作費もそれほどかかっているとも思えない映画だった。
この小説では、延々とつづく退屈な情景を眼前にしてブルーの気持ちが微妙に変化していくように展開される。
二日後、ブルーのもとに、いつもの郵便為替とともに、ついにホワイトからのメッセージが届く。ふざけた真似はよせ、とそこには書いてある。
(・・・略)けれども、ふざけた真似というのが前回の報告書のことを指すのか、それとも郵便局での出来事を指すのか、ブルーにはよくわからない。(p96-97)
だが、その微妙な変化(差異)がじつは大きな意味の変容を起こすといえばいいのか、監視しているブルーが逆にブラックやホワイトに監視されていると思われるように変化する。さらに、ホワイトの存在も相対化され物語は複雑な様相と展開を示すようになる。いうなれば、この物語を虚構の産物とすれば現実は退屈な状況のままで何ひとつとして変わってはいないのかもしれない。
訳者あとがきにあるように、自己と他者、現実と虚構、必然と偶然、言葉と物、といったいわゆるポストモダニズムの文学が好んで扱う問題を否応なく意識させる。この作家がカフカやサミュエル・ベケット、安倍公房らと比較され評される所以がそこにあるともいえるだろう。ここで表題についてあらためて考えてみると《幽霊たち》とは虚構としての物語そのものを意味するのだろうか。
次作の「鍵のかかった部屋」をかさねて考えてみるとP・オースターの眼差しはおそらく物語だけではなく、それを書く作家とは何か、またそれにかかわる読み手が経験する意識の変容のあり方とは何を意味するのかという形而上学的な問いとともにあるように考えられる。それゆえに、あえて《幽霊たち》と複数形でそのことを意味しているのではないだろうか。あるいは、不可解さの中において無意識と対峙し認識の変容を企てているようにも思える。
だが物語はまだ終わっていない。まだ最後の瞬間が残っているのだ。それが訪れるのはブルーが部屋を去る時である。世界とはそういうものだ、一瞬たりとも多すぎず、一瞬たりとも少なすぎない。ブルーが椅子から立ち上がり、帽子をかぶり、ドアから外に出て行く―そのときこそが終わりなのだ。(p180)
つまり、ブルーがブラックを監視する仕事の依頼を受け、用意された褐色の石造りの四階建てアパート、三階のこじんまりとしたワンルームの部屋を去る時までのことなのだ。
とり憑かれたような感覚 鍵のかかった部屋(ポール・オースター著 白水社)2020.6.27
なんとも不思議な読後感だ。この小説の全体を意味する大きなメタファーともいえる「鍵のかかった部屋」は、いつの間にか不在の人物ファンショーにとり憑かれたような奇妙な感覚と人間の本質存在論的な不可解さに引きずられるように否応なくそのことを考えさせる。つまり、この物語はファンショーという不在の人物をめぐって一人称で書かれた僕によって語られるのだが、構造的にみて三つの時間軸で重層的に描かれているからかもしれない。
たとえば、記憶の中にある親友ファンショーと過ごしともに成長した幼少期から青年期までのいくつかのエピソードや家族関係のこと。つまり、ファンショーが残した膨大な原稿を書いたと思われるその時のことだ。
この雪におおわれた、開いた墓穴でも、それと同じようなことが起きていた。ファンショーは一人下にいて、自分だけの思考にふけり、自分だけでその瞬間を生きていた。まるで本当は僕などそこにいないかのように。これが父の死を想像するためのファンショーなりのやり方であることを僕は理解した。ここでもまた、ことはまったくの偶然から始まっていた。開いた墓穴がそこにあり、ファッショーはその墓穴が自分を呼んでいると感じたのだ。(p46)
そして、不在となったファンショーが残した膨大なノートや原稿のことで妻ソフィーから突然の連絡を受け、彼の意に沿ってそれを著作として刊行するために出版者として関わることになる。
その通りだった。結果的には、おそらくスチュアートが想像もしなかったほどの「めっけもの」だった。『どこでもない国』はその月の末に出版が決まり、と同時にほかの作品も同じ出版社が優先権をとった。(P64)
考えてみればたしかに、ファンショーの原稿がすべて出版されたとして、そのあと僕が彼の名前を使ってもう一冊か二冊本を書くことはまったく可能である。もちろんそんなことをする気は僕にはなかった。でもそう考えてみるだけで、僕の頭の中に、奇妙な、謎めいた想いがあれこれ浮かんできた。作家が自分の名を書物に記すことにはどういう意味があるのか?(P76)
さらに、僕の手によってファンショーの『伝記』を執筆することで、物語それ自体を相対化し現在を読み手と共有できる時間が重なる構造となっている。
『ガラスの街』『幽霊たち』、そしてこの本、三つの物語は究極的にはみな同じ物語なのだ。ただそれぞれが、僕が徐々に状況を把握していく過程におけるそれぞれの段階の産物なのだ。ぼくは自分が何か問題を解決したのだなどと主張するつもりはない。僕はただ、起きた出来事を振り返っても自分がもはや怯えなくなった瞬間が訪れた。ということを伝えようとしているだけなのだ。そういった瞬間に続いて言葉が生まれ出てきたとしても、それは単にそれらの言葉たちが僕に望んでいる方向に進んでゆくしか手はなかったからだ。だが、それだけでは、それらの言葉が重要だということには必ずしもならない。僕はこれまで長いあいだ、何かに別れを告げようと苦闘してきた。この苦闘こそが何にもまして重要なのだ。物語は言葉の中にはない。苦闘の中にあるのだ。(P183)
ニューヨーク三部作といわれポール・オースターの名を知らしめた作品の中でも本著『鍵のかかった部屋』とはじめて出合った衝撃はぼくにとって驚きだった。
この小説を読みながら、ぼくはロシアのイリヤ・カバコフというアーティストの「シャルル・ローゼンタールの人生と創造」という展覧会のことを思い出していた。それはイリヤ・カバコフが《シャルル・ローゼンタール》という作家を想定しその人の人生をふりかえる回顧展という手の込んだ設定で行われたのだが、この作品が著者の手記とも自伝ともとれる様式をもちながら人間の本質存在を明るみにする稀有な物語として描かれていると思ったからかも知れない。
ここでは主人公として登場する(しない?)ファンショーという人物が本当に実在するものなのか、失踪したあとに生きているのか死んでいるのかさえ不確かなまま物語は進行し、あるいはフィクションとして語られる装置のようにも感じられる。
だが、ベンとソフィーの存在する事実からおそらくそれらしき実在の人物が存在したことは事実というほかない。ファンショーはおそらくこの物語の架空の人物として用意されたフィクションとしての存在のような気がするのだが、そのこと自体はこの作品にとって大した問題ではない。
いうなれば推理小説の形式を示しながら完結してとじられる世界ではなく、ポール・オースターという作家のきわめて観念的で人間的なまなざしが捉えた客体化された物語をそれにかかわる主体(作者として読者として)との存在論的なあり方を目論んでいることに注目したい。そういう意味では現実と非現実との間を流動的に往復できる装置として現在を描いたきわめて斬新でシリアスな物語といえるのではないか。
余りにも個人的な思惑に埋没した思弁的な捉え方とおこられるかもしれないが、ぼくはそういう作品があって欲しいとそう思うからでもある。
カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」、町田康「ギケイキ」、P・オースター「鍵のかかった部屋」とつづけて読むことになったが、なんの脈絡もない不節操な読書の仕方と思われるかもしれない。だが、これほど異質の作品でありながらいずれも第一級のすぐれた作品であることに疑いの余地はない。
なにはともあれ、これはニューヨーク三部作をはじめ、ポール・オースターにとり憑かれて読むしかなさそうだ。
ぶっ飛んでいて愉快 「ギケイキ 千年の流転」(河出文庫)2020.6
ひさしぶりの町田ワールド。やっぱり、ぶっ飛んでいて愉快おもしろいです。それも、カズオ・イシグロの「わたしを離さないで」のつぎに手にしたのがこれですよ。このギャップの心地よさはどういえばいいのかなぁ神田伯山もびっくり、あまりに楽しすぎて狂乱しそうです。しかも、日本の古典文学の王道をあの独特の文体で闊歩(かっぽ)するのだから堪らない。
いわれてみれば確かに、本著「ギケイキ 千年の流転」は《パンクロック調》のコンサートのような現代小説といえる。つまり、《本歌とり》のようでもありスタンダードな代物に即興的にアドリブを交える演奏みたいな手法で、現代感覚をクロスさせながら激烈に描いた滑稽で悲痛な娯楽超大作といえるし、いうなればきわめて知的な小説と換言することもできるのだ。
それ故に、いみじくも古典の絶対音感をもつ「音」の文学とする大塚ひかりの解釈もきわめて説得力のあるロジックとして受けとれる。『本歌とり》とはいうまでもなく「義経記」ということになるけれど、これを「ギケイキ」とする音感と変幻自在のリズム感とアドリブを駆使した描写と筆力はまことに見事というほかない。《判官とホーガン》、確かにぴったりではないか。
「くっすん大黒」「パンク侍、斬られて候」などにもみられるように、どこまでもどこまでも過剰なまでに増幅する思いこみで修飾することばの語感といえばいいのか、その超絶文体は読み手の気持ちを一気にひき込み読ませるパワーがある。
例えば、内田百閒や堀江敏行の小説にもこのように特有の美意識や観念的できわめて個人的な思い込みによる長描写で修飾する書き手もあるけれど、町田スタイルはそれが際限なく増幅するところがある。おそらくは、それも計算づくと思われるのだが、なぜか天才的な感じがあって不思議である。
本文の中から一部を紹介してみよう。
「武蔵坊弁慶、怒ったらあかん。こいつらが笑ったのは別のことで笑ったんですよ。自分が笑われてもいないのに、みんなが俺を笑っているなんて言うと、いかにもメンヘラみたいでカッコ悪いですよ」
と、言って弁慶を諭した。そう言われて、カッコ悪いことを極度に嫌う弁慶は、それもそうだ恥ずっ。と思って、気まずい感じで部屋を出て行った。
弁慶が部屋を出て行き、もしかしたら殺されるかも知れない。とそう思って半泣きになっていた若い僧たちは、ほっと安堵の溜息を漏らした。
しかし、学頭は苦り切った顔で、なんということをしてくれたのだ。という意味のことをぶつぶつと呟いていた。(p291)
と、まあこんな具合だから仕方がない。
本編では《源平の戦い》をまえにして、奥州平泉の藤原秀衡のたもとをあとにして義経らが頼朝と合流し源氏総決起のところまでとなっているけれど、あの有名な那須与一宗隆の活躍から壇ノ浦の戦いまでを盛り込んだ続編を期待したいところだ。
それにしてもこの『源平の戦い》というのは数々のエピソードとともに、いろいろな演出やはかりごともありそれぞれがいかにも絵になるしイメージを膨らませればいか様にもアレンジできそうな気がしてくる。
著者の手にかかれば、それこそ変幻自在どこへ連れていかれるか見当もつかないくらい恐ろしくも興味津々なのであ~る。町田康著「ギケイキ」どうぞお読みください。
カズオ・イシグロ わたしを離さないで(早川書房)2020.6.3
読了、これはすごい。
いい小説を読みおえたときのあの独特の感覚、感動の余韻につつまれた感じといえばいいのか何ともいいようのない心地いい衝撃と大きな問いを背負わされたような気分。カズオ・イシグロすごい作家だ。
日本人であり英国人でもあるこの作家のことはノーベル文学賞を受賞する前から知ってはいたのだが、はじめて読んだものが本著「わたしを離さないで」だったことは幸運だったかもしれない。本当にすばらしいスケールの大きな作家に出会えて嬉しかったぁーっ。
静かにはじまるこの物語はいわば回想の作品なのだが、一つ一つの大切な記憶をたどるようにきわめて抑制的に描かれている。そう、淡々としていて抑制的、このことは文体としても大きく作用しているようにもおもえる。この小説は本当に自然な感じで作品世界に吸い込まれていく不思議な読書体験となった。
学校なのか宿舎なのかヘールシャムとはどういう場所なのだろう。この施設で育成されていく子どもたち、その過程でおきる奇妙なできごと、親友のトミーやルースたちのようすだけでなく保護管とよばれる教師たちのぎこちない態度や関係性、施設の外からやってくるようにみえるマダムの秘密めいた不可解な行動。
物語はこの施設でトミーたちとともに成長し介護人となった女性キャシー・Hのまなざしで語られていく。つまり、年少期から提供者へと成長していく過程で少しずつこの施設のことがあかされていくことになるのだ。
いうなれば、ヘールシャムが臓器を提供することを目的とするクローン人間を育成するためのものであるという残酷な真実が徐々にあかされていき、ここに関係する提供者や介護人、保護管とよばれる教師たちそれぞれの思惑と葛藤がクールにも壮絶な物語として描かれているのだ。けだし、この怖ろしくも感動的な物語は人間の尊厳と畏怖とともに、《人間存在》の普遍的な問題を孕んだ傑出した作品といえるだろう。
象徴的なできごととして、カセットテープを聴きながらキャシーが枕を抱いて眼を閉じて「オー、ベイビー、ベイビー、わたしを離さないで・・・」とリフレーンを一緒に歌いながら、スローダンスを踊るところをマダムにみられる場面がある。赤ちゃんを産めないこの子たちの間で交わされる「映画俳優になれたらいいな」とか「スターの人生ってどんなだろう」などといった他愛のない会話を聞いた保護管のルーシー先生はこのようにいう。
「あなた方は教わっているようで、実は教わっていません。それが問題です。(・・・略)あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。いえ、中年もあるかどうか・・・。いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、提供が使命です。ビデオで見るような俳優とは違います。わたしたち保護管とも違います。あなた方は一つの目的のためにこの世に生み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければなりません。間もなくヘールシャムを出ていき、遠からず、最初の提供を準備する日が来るでしょう。それを覚えておいてください。みっともない人生にしないため、自分が何者で、先に何が待っているか知っておいてください」(本文p127)
ルーシー先生のこの言葉は唐突にもあまりに残酷で強烈ですが本質的な問いとして何を意味するのか、物語の終章になってこのことがマリ・クロード(マダム)やエミリ先生の証言によってあかされていく。
ヘールシャムを出たキャシーたちはコテージで過ごすことになるが、ルースのポシブル(親)さがしでノーフォークへと向かう少人数の旅行もこの小説を象徴する印象的なエピソードだ。
カップルとして過ごしたトミーとルースは提供者として、キャシーは優秀な介護人として彼らのお世話をする人生をおくる。そして、ルースは何回かの臓器提供を終え人生の最期をむかえるのだがキャシーにトミーの介護人となるべきだしそうなって欲しいと切望するのだった。
キャシーはトミーの介護人として複雑な想いを抱えながらも平穏に過ごすことになるが、トミーも4回目の提供を済ませクローン人間としての使命を終える。だが、その前にマダムの邸を訪ねたトミーとキャシーは、そこで年老いたエミリ先生とマダムの二人からヘールシャムの活動における思惑と葛藤の真実を知ることになる。すでに、ヘールシャムは閉館しているのだが、彼らが施設で経験した不可解で奇妙なできごとの記憶が謎解きのようにあきらかになっていく。
医学のためとはいえクローン人間の可能性については、いうまでもなく倫理的人道的問題のみならず未解決の複雑な問題がのこされている。特定の目的を前提とした命、理想と現実、ぼくたちは人間の尊厳や畏怖と同時に《人間存在》にかかわる普遍的で哲学的な大きな課題を突きつけられたような気がする。カズオ・イシグロ「わたしを離さないで」、まさしく魂を揺さぶる作品といえる。
個体を超えた共存 「戦後思想の到達点」(大澤真幸著 NHK出版)
この本は戦後思想の二つの到達点として、柄谷行人と見田宗介両氏の思考の軌跡を辿りながら社会学者大澤真幸さんが聞きとるというインタヴュー形式となっている。だが、互いをリスペクトする大澤氏ならではの深い洞察と理解に基づく対話で二人の思想のポイントを明解に引き出してくれるたいへん有難い著作となっている。とりわけ、両氏の理論に対してはきわめて創造的でかつ国際的にみても先端的な思想であり、対等に評価される強靭さと普遍性をもつものと位置づけていることに注目したい。
著者は《まえがき》で次のようにいう。《・・・二人は、戦後日本でしか意味がないようなことを語ったり、書いたりしてきたわけではないし、戦後の日本人にだけ向けて思想を送り出してきたわけではない。戦後思想の最大の課題は、戦後そのものを止揚することである。とするならば、戦後の束縛から自由に考え、探求することができた二人の思想こそ、日本の戦後思想の未来を展望する窓がある》と。
文芸評論家としてスタートした柄谷行人の思想については、《漱石論》にみられる意識と自然という存在論的な視点、《マルクス論》については“交換”様式という概念で捉えその後の世界システムへの構造的理解へと探求する先鋭的な思想として展開されている。
とりわけ、この交換的様式論を理論的骨格にした大書『世界史の構造』という著作において、その思想の完成された体系性を獲得したのではないかとする大澤氏の質問はつづき、何故「交換」に注目するのか?「交換を強いる力」とは何か、と難解な柄谷行人の思想の全体像に道案内してくれる。そして、この交換様式の四つのパターン、すなわちA互酬(贈与と返礼)、B略取と再分配(支配と保護)、C商品交換(貨幣と商品)、そしてこれらの様式を超えるパターンとして用意されたDに分類され、このいずれかで世界構造を解析する。これまでにみる複雑な世界史がきれいに分析され論理的に整理されていくようで真に興味深いところだ。また、この交換様式の四つのパターンが多様に重層化し、回帰して機能することや無意識の働きとして作用する可能性、さらに謎めいたDの様式とはどういうことなのか。柄谷のこの思想がオープンな形として国内外で研究され進化することを期待するとしている。
また、この日本をどう捉えるかという意味では、帝国とする〈中心〉、その影響下にある〈周辺〉、日本のように中心文明を受け入れるけれども地政学的にみても全面的には受け入れない〈亜周辺〉、ほとんど影響のない〈辺境〉とに分類。その亜周辺性、未開性にこそ日本の独自性とその意義を再考すべきであり、中国には帝国としての意義の再考を促す、としている。
見田宗介氏の社会学においてはマルクスの価値論から『価値意識の理論』、『現代社会の存立構造』へと発展させ、連続殺人犯永山則夫の研究から「まなざしの地獄」までを考える。永山の手記からは「家郷」「都市」「差別」「階級」「犯罪」「被害者/加害者」の問題を読みとり現代社会の存立構造、実存構造を考え、社会学を《一人ひとりの人間の、切れば血の出るような《人生》のひしめきとして捉える。》とする見田氏の社会学者としてのスタンスを確認する。そして、『気流の鳴る音』ではインド、ラテンアメリカへの旅を契機に見田宗介の探求は大きな思想としての発展を遂げる。
「日本」を内部とし、「欧米」を外部とするような思考も、ほとんど意味のないものとなります。欧米と日本を共に包含するこの「近代」という世界を対象化し、客観化するための方法的な支点=視点は、この「近代」という世界のさらに外部に立つ他はありません。(p157)
この近代を相対化するまなざしは構造主義的な背景もあってレヴィ・ストロースの未開社会の研究にも必然的な流れとして確認されるのではないか。さらに、人の生や自我やニヒリズムという「思想」の本質的な問題へと接近し、愛とエゴイズムの生命社会学「自我の起源」へと道案内はつづき、現代社会の行方を意識した「現代社会の理論」までを辿っている。その軌跡はやはり実存を手がかりとする構造主義的な手法で探求する現代社会への深い関心と未来への展望を示唆する思想の現れとなっているようにみえる。その地平は《個体を超えた共存》のあり方のような気がしてならなかったのだが・・・。
終章ではインタヴューを終えた大澤真幸さんによる《二人の思想からわれわれは何を継承すべきなのか、何を継承できるのか》として、二人が共有する思想の展望「交響するD」という社会の仕組と存在のあり方についての《覚書》が記されている。
国内外を問わず多くの死者をだし世界の脅威となっている新型コロナウイルス。この感染拡大による社会的経済的危機の渦中において、事態を克服する大きなヒントが大澤さんの《覚書》として書き記した「交響するD」にあるのかもしれない。
保育研究必見の一冊
この本の末尾に『「育つ風景」を書き続けて』、というあとがきのようなエッセイがあります。
本著「うしろすがたが教えてくれた」(かもがわ出版)は、前作「育つ風景」(かもがわ出版)、「育ちあう風景」(ひとなる書房)につづく第三冊目として刊行されたもので、どういうわけか三部作のようでもあります。それというのも、いずれも子どもたちが育つ風景に向き合うことを通して学生や保育者を含む大人がいかに学ぶことができるか、その可能性について考察する立脚点を共有していると思えるからです。
著者は、子どもと直接向き合って毎日いっしょうけんめいかかわっている保育士さんと違って、私は子どもたちとおとなたちとがいっしょになって暮らしているのを見ていることしかできないことをふまえて、「ときには必死に、ときにはやさしい気持ちでともにいることのかけがえのなさ」に学び、いとおしくも大切な姿として考えるとしています。さらに、たくさんの思いを持って日々を生きるひとりひとりに敬意をもつことなしに、保育や人の育ちをとらえることは出来ないと思い知らされると続けています。
思えば、個人的な経験としても多くの子どもとかかわり自分の子どもを育成してきたつもりが、じつは子どもたちから逆にいろいろなことを教えられ、人として鍛えられたように実感してきた気がします。
とりわけ三歳児以下の幼児ならことばや表現が未発達なだけにより直接的なサインがあるはずで、まずはそれに気づくことが求められ、同時にそのサインが意味するものを分かり合えた嬉しさは、互いを成長させる契機になったように思うのです。不思議なことに以前「beingとdoingについて」という芹沢俊介さんの講演がかさなってきてdoingのまえにbeingが保証される必要性を痛感しました。
ここでは「小学校との接続」の意味(p80)という興味深い指摘があります。幼稚園教育要領や保育所保育指針について、「困難につまずいても気持ちを切り替えて根気強くやり抜くとか、くじけずに、あきらめずにやり遂げること、まわりの人の気持ちを考えて発言したり、折りあいをつけたりするなどといったことを重視していることがわかる(p82)これは大問題である。」と。さらに、「自分たちは、いろいろ十分でないにしても、心から思っている保育園なのだ、と確信した。」とも言っています。このように、beingよりもdoingが重視される状況を危惧しています。このほか、「無表情でいう意思表示」「ごめんねって言って」「ある中学生へのエール」「やっとつかんだ心地よい眠り」「保護者の不安に気づく」「職場の風通し」「新人保育者」「保育士にならない決意」「黄色いセーター」など、たくさんの風景に出会えます。
著者は保育の現場をフィールドワークとする一方でそこに立つ人材すなわち学生を育ててこられた経緯もあり、そういう人たちの聞き取りや保育現場の声に丁寧に向き合いながら子どもたちのうしろすがたに答えをみつけようと呼びかけているのかも知れません。
ブレイディ・ミカコとともに、保育研究として必見の一冊といえるのではないでしょうか。
川内松男さんの写真もすばらしいですね。
持続可能な負けない力 負けない力(橋本治著 朝日文庫)2020.4.21
この本は反知性主義が横行する時代にあって、その「知性」について考察する橋本治さんならではエッセンスで溢れるしたたかな本である。
冒頭、著者はこのように《この本は、「読んでもなんの役に立つのかよく分からない本」ですが、まえがきでそんなことを言うこの本は、「役に立たないと思われているものの中にだって、結構複雑なものは隠されているかもしれない」と言う本なのかもしれません。》と独特のいい方でけむに巻くような枕をおく。
また、《現代人はめんどうくさい「負けそうな状況」に巻き込まれないよう、「役に立つこと」ばかりを選びます。それをするのが利口なやり方とは思われていますが、手っ取り早く「役に立つこと」ばかりを求めていると、知らない間に「負けそうな状況」の中にどっぷりと入り込んでしまっています。》と注意している。
つまり、こんなことばかりしていると「負けることに対する免疫力」がなくなるのだということなのだろうか。だから、負けない力である知性が必要だということなのだ。
女性の社会進出が言われはじめた1970年後半から1980年代、1990年代にかけては「知的な美人」が流行っていたけれど、アイドル文化の全盛期から反乱期といえそうな今では、「知的」というのは「タカピー(高飛車)」ということであり、「上から目線の女」のように思われて敬遠されるという。なるほど分かりやすいロジックでたいへん説得力がある。
《現在のアイドル文化は集団アイドル体制で、メンバーがあまり「若い娘」ではなくなってしまうと「卒業」して独り立ちをします。「卒業」とうのはつまり「大人になる」ということで、大きく広がった「大人にならなくていい文化」の中では「どうでもいい、もう関係のない存在」になるということなのです。》、ともいう。
こうして、「知的な美人」は「大人」ということになるのだが、「若い娘」を基準にしてみれば、「知的」もへったくれもなくて、ただ「もう老けている」だけで「知的な美人」は流行らなくなった、と続けられる。
とりわけ、第二章の「知性はもっと負けている」では、ますます著者ならではの鋭い分析がきわだっている。「女性の社会進出」が言われはじめるまでは、女性は20代の適齢期に結婚して職場を離れ、専業主婦になるのが決まりのようにあった。ところが、「結婚」という選択肢を保留にして「仕事を続けたい」と思う女性が増えてしまった。そして、それが当たり前になってくると《「男は女より上で、女は男より下の存在でなければならない」という社会の風潮の中で、「理屈を言う女は可愛くない」「インテリ女はブスだ」ということになって「知的な美人」が必要とされなくなった。だからこそ「高学歴」だったり「知的」で「頭がよくて理屈が多い」女性たちは「きれいになる」を必要とした。》というのだ。
ここでは情報化の流れもあると思うけれど、女性たちは自分をグレードアップして知的であるように見せる、そして新しいファッションでメイクするようになり「知的な美人のファッションスタイル」が登場する、との理路はなぜか痛快である。
かくして、「流行のあり方」は変わり知的な女の「キャリアウーマンファッション」は、人とは違う普通のあり方に埋没しない知性を訴えるようになっていく。だが、著者は《「知的な女」が登場した時代は『女の自立』が言われ始めた時代で、それをいう彼女達が必要としたのは「知性」でもなく「美」でもなく、まず自分が自分であるための「プライド」だったのです。》という。これはさすがに見事というほかないのではないか、そのように考えれば確かに腑に落ちるような気がするのだ。
また、ボディコンやキャリアウーマン、ファッションやブランド志向といった文化的な流行の移り変わりさえも、すべては「思想的なファッション」で、その背後には、それを選ぶ人達の「私は自己主張したい」という気持ちがあり、「自分の外部にあるものを選ぶことによって可能になる」という。つまり、自己証明となっているのだ。
だが、著者は「自己主張が強いからといって、知性があるわけではない」ともいう。さらに、「なんでも知っている」と思いたい衝動が強くなればなるほど、「知っている」と思える範囲が狭くなって、「極小の範囲でならなんでも知っている」と強調する。まさしく「井の中の蛙、大海を知らず」ということだ。
確かに「知性がえらそうだった時代」もある。それは第三章で解析されていくのだが、いうなれば「大衆」という情報化された知性とは違った「知性」があるというのだろうか。
この本「負けない力」を読みながら、どういうわけかぼくはノーベル賞受賞者の多くの先生がインタビューに応えて「基礎研究が大切だ」と力説されていることを思いだしていた。このことは多分、この本の終わりに導かれた持続可能な負けない力が、すなわち「知性」ということとどこかでリンクしていると思えたからかも知れない。
それにしても、どうして人は勝ちたいと思うのだろう。考えてみれば確かに負けなければいいようなものだが、「知性」というものには「効率や利便性」「費用対効果」などという数値化される力とは異質の何かがあるように思えてくるから不思議だ。きわめて個人的なことだが、女性たちの「流行のあり方」にみる意識の変化と社会のニーズに関する考察が痛快なのはどういうことだろう。
伝説の討論会 ドキュメント映画『三島由紀夫VS東大全共闘」2020.3
禁断のスクープ映像が50年の封印を解かれた!あの伝説の討論会が今、蘇る!
最近は映画をみる機会がかさなって火曜日は話題のドキュメント映画『三島由紀夫VS東大全共闘』をみるため広島へ行くことになった。コロナウイルス感染のリスクをかかえながらもサロンシネマは比較的ゆったりとしていて、感染の心配もさほどありそうには見えなかった。
この映画は《伝説の討論会》といわれたあの三島由紀夫VS東大全共闘1000名の学生たちとの『緊迫した論理と思考の対決》を記録したものだ。「三島を論破して立ち往生させ、舞台の上で切腹させる」と学生たちは1969年5月13日、東大駒場キャンパス900番教室に集結した。
万一を想定して《楯の会》のメンバーも最前列に集結し学生らも民青の殴り込みを警戒していたが、警察の警備も断り単身で乗り込んだ三島由紀夫は最後まで余裕を見せその態度は紳士的で常に冷静だった。挑発的な学生たちにも終始丁寧な言葉の力で応じた。この場に立ち合った当時の学生、芥正彦、橋爪大三郎、木村修たちの他にも内田樹、平野啓一郎、小熊英二、瀬月内寂聴らのコメントを織り込んだ衝撃のドキュメントだ。翌年11月25日、三島由紀夫はあの壮絶な死を決行するのだが、この討論会には確かにその予兆を感じさせるところもあった。
以前、友人から送られてきたヘンリーミラーの三島由紀夫の死についての論考を読んだことがあった。その論考は三島への畏敬の念と違和感の入り混じった複雑な心情が滲みでた丁寧なものでたいへん説得力のあるものだった。
この映画でも話題になった『太陽と鉄』は三島由紀夫が褌姿で日本刀を構えた表紙で、ぼくはその初版本を『蘭陵王』とともに神田の八木書店で買って今も大切にしている。この本の最後におさめられた「イカロス」という詩などは本当に死を準備している三島の内面が感じとれるものでこの詩の一節をぼくは暗記している。また、今は手元にはないがこの「イカロス」を作品にしたこともある。あるいは強烈な観念論者とか狂信者などと云われるけれど、それほど究極的な心境にこのときの三島は達していたのかもしれないという気がしている。若いころ、三島の文学に影響をうけ読みあさった一人としてぼくはそう思う。平野啓一郎のいうようにたしかに戦中派として生き残った者の精神的なリスクと特異な意識があったのかもしれない。いうなれば反米愛国主義、三島由紀夫は当時でさえ極東アジアの一角にきわめてニュートラルで国家として主体性のない経済大国が存在するのを忌み嫌い、英雄の概念や行動の美学を掲げて絶対権力者としての天皇論を主張していた。それゆえに、死を覚悟していたことも事実で死をもって自らを完結することを願っていたようにも思う。
そうだ、統治制度における人民の主体的関係性を明確にするという点では三島と全共闘はある意味で共通するものがあった。三島はそれを直感していたがゆえに余裕をもってこの討論の場に立っているようにも見えた。
最近になって読んだ『保守と大東亜戦争』『石原慎太郎:作家はなぜ政治家になったか』(中島岳志)『象徴天皇という物語』(赤坂憲雄)とヘンリーミラーの三島論などを整理しながらこのドキュメントを考えているのだが、戦中派としての立場、あるいは《楯の会》を象徴する肉体派、文化防衛論者という反小説家としての活動は何だったのか、と。また、橋川文三や福田恒存はこの作家をどう捉えていたのだろうか。だから、ぼくたちは三島の文学までもその文脈にあてはめて考えようとするところもある。事実、『金閣寺』では火を放つ若い僧の心境は死をもって解脱する臨済宗のイメージで語れるし、「イカロス」にしても限りない死への接近が昇天への欲望としてイメージされている。
行動の美学とは何か、いうなれば三島由紀夫は死をもって自ら描いてきた物語のイメージを体現し完結したかったのかもしれない。だが、四部作『豊饒の海』のように死をもって完結した暁には、いずれ輪廻転生することをイメージしたとも考えられないだろうか。そのように考えてみると三島の現在はどういう形で生まれ変わっているというのだろう。
つまりは《覚悟の行動学》といえるかも知れないが70年代の時代状況もあって、任侠映画の高倉健の殴り込みや「止めてくれるな!おっかさん」「唯一の無関心で通り過ぎて行く者を俺はゆるしておくものか、藁のようにではなく震えながら死ぬのだ」という学生たちの運動とかさなったような気もしている。このことはこの映画でも『非合法の暴力を認める」という立場を表明していることからも肯ける。ヘンリーミラーの論考は信ぴょう性も高く説得力もあると思うけれど、それ故に天才の名をほしいままにした三島由紀夫の死は考えれば考えるほど不可解さが増幅してくるのだ。
それにしても単身のりこんで東大全共闘の学生1000人が集結した中で、このような臨場感のある議論を実現させる双方の理性と知性にはおどろくばかりである。最近、若い人と話していてこのような議論の機会がどういうわけか消失しているように思えるのはどうしてだろうか。いや、国会前のデモやアジ演説をみてもむしろ一人称でいい切る実態もあるし、大きなちがいや変化があるとも云えそうにない。むしろ、言葉の力を信じ互いを尊重する態度がこの映画では際立っていたように思えた。そのことは、数日前の朝日新聞のこの映画に関する記事でも取り上げられていたように、ここではSNSやネット空間における匿名性の中で相手を罵倒する誹謗中傷とは異なり、たしかな言葉の力と対峙の論理による臨場感のある議論が成立している。『保守と大東亜戦争』で著者・中島岳志が説くように、戦中戦後を通じて「保守とは何か」と考えるだけでも正反対の立場があり同じムジナのようにみえることも分かってきた。
知識人たちの戦後の変貌ぶりと対米従属への苛立ちに立ち向かう三島と全共闘、この映画からは思想的立場はちがっても確かに《本気で生きる者たちの熱量》が伝わってくる。それは主体性と純粋性の回復と言い換えることもできるのではないだろうか。
ここでは、他者とは何か(主体性を認める自分以外の存在)、エロチシズムは他者の主体性を認めない。解放区の時間と空間など芸術と言葉の介入など芥正彦との論議も興味深かったが、ぼくにとってはその頃の刺激的な言葉と熱気が甦る瞬間を堪能できるきわめて不思議な時間でもあった。
「未成熟」の体現 石原慎太郎(中島岳志著 NHK出版)2020.3.4
まず冒頭、著者はこの本の執筆に際しその動機について述べている。つまり、戦後という時代において常に「大衆」の心をとらえ、「話題の人」であり続けてきた石原慎太郎という存在。その人生をまるごと検証することで戦後という時代の核心をつけるのではないか、と。
そして、「戦後思想の水脈」というテーマを前提にして日本社会の右傾化、石原慎太郎に喝采を送り続けてきた「大衆」という存在、そして「保守」でありながらいま保守派といわれる人たちに大きな距離を感じる著者自身の現在をみつめるときにこそ現代的でアクチュアルな問題が見えてこないか、と考えたと前置きしている。
終戦から約10年を経て、「太陽の季節」で芥川賞を受賞し文学界のヒーローとして華々しく登場した石原慎太郎は、いわゆる《太陽族》といわれるライフスタイルと文化的価値をともなう大きな社会的現象として注目された。だが、このことは彼にとって大きなリスクを背負う結果を招いたのではないか、ぼくはそう思う。この本を読みすすめていくにつれますますそう思うようになったのだが、そのリスクとは何だったか。
それは、「太陽の季節」のモデルといわれる弟の映画スター裕次郎の存在だったのではないか。もちろん、戦後の虚脱感や戦中派との確執も理解できるが、いうなれば頭でっかちのインテリとはちがう「無知と無倫理」を地で生きる肉体派スター裕次郎へのあこがれが生来のポピュリズムとクロスした結果がそのまま石原の言動に表れているようにも思えるのだ。そのことは文学においてさえ、不健康な戦中派を否定し「ヒステリックで無軌道」にあこがれ、暗い戦後から明るい太陽の時代へと向かうこともあながち不自然とはいえそうにない。
そんな折、《ナショナリズム》をかかえて満を持して発表した渾身の作品「挑戦」が、「奇妙な戦中派擁護者」だと糾弾されメロドラマ風に描いただけの小説に価値はない、と橋川文三に酷評される。この表層的な行動の原理はその後の『日本回帰』や『特攻隊の手記へのあこがれ』ともなり、『文学の延長上にこそ政治がある』として右派的な政治集団「青嵐会」の活動へとつながっている。
石原慎太郎の行動にはコンプレックスやあこがれにも似た不可解なある《飛躍》がありそうにみえるのだが、本著は丁寧にも見事にその変遷を追っている。
いつまでも青年を装う石原に対して「成熟」を問う江藤淳の忠告もあったのだが、それは石原慎太郎に向けられたものだけではなく、米国に保護され成熟できないままの日本に向けられたものでもあった。
結局、石原慎太郎は、何か確たる着地点を見出したのでしょうか。石原の姿は、成熟しきれないでいる日本という国の「戦後」そのもののように思えます。彼の歩みそのものが、江藤淳のいう「ごっこ」でしかなかった。(p137)
手厳しい結論ではあるが著者は次のように結んでいる。
大衆の欲望に寄り添い、戦後の日本社会の「未成熟」を体現してきたのが石原慎太郎という存在であり、安易なナショナリズムへと傾斜し、ひたすら「ごっこ」を繰り返す時、そこに戦後の本質が透けて見えるように思います。そういう意味において、石原慎太郎はまさに「戦後と寝た男」なのだ、と。
綿密に読みこまれた石原慎太郎の作家から政治家への軌跡をたどる必見の一冊、それはまことに見事というほかない。どうぞお読みください。
映画『ジョジョ・ラビット』2020.3.4
広島の八丁座で上映している話題の映画『ジョジョ・ラビット』(タイカ・ワイティティ監督作品)は、子どもの視点で戦時下におけるユダヤとナチスの壁を超えた〝愛と成長の物語″をコミカルなタッチでみごとに描いたきわめつきの最高傑作の一つといえる。
この映画の舞台は第二次世界大戦のドイツだ。ナチスの青少年集団ヒトラーユーゲントの合宿に参加した10歳のジョジョは同合宿で大けがを負う。ウサギを殺せとの命令に応じられなかったことでみんなから2年間も音信不通の父と同じく臆病者と決めつけられ《ジョジョ・ラビット》とあだ名で呼ばれバカにされる。
この作品のおもしろいのは空想上のジョジョの友だち《アドルフ》の存在だ。それが洗脳を意図するものか、《アドルフ》はいつもジョジョの傍にいてジョジョが立派なナチスの一員になれるよう助言や励ましをあたえる。
《アドルフ》から「ウサギは勇敢でずる賢く強い」と激励され元気を取り戻したジョジョは、張り切って手榴弾の投てき訓練に飛び込むのだが、失敗して大ケガを負ってしまったのだ。
ジョジョと一緒に暮らす母のロージーは怒って事務所に抗議する。ジョジョはケガが完治するまで体に無理のない奉仕活動をすることになる。
帰宅したジョジョは亡くなった姉インゲの部屋にかくまわれていたユダヤの少女エルサと遭遇する。おなじ屋根の下に最大の敵ユダヤ人、予測できない事態になったジョジョは「通報すれば、母子は協力者だと告げ全員死刑となる」とエルサに脅される。
《アドルフ》の助言もあり、ジョジョはエルサからユダヤの秘密を聞き出して本を書くことを思いつき、ユダヤの秘密を教えるという“条件”をのむことを要求し二人の交渉は成立する。
その日からジョジョはエルサからユダヤ人講義を聞くたびに、ユダヤは下等な悪魔だというヒトラーユーゲントの教えがまちがっていることを知るようになりエルサに惹かれていく。
愛は最強
やがて戦争は最終局面をむかえ、ドイツはアメリカを中心とする連合軍によって凄まじい爆撃を受ける。母ロージーの反ナチス運動が知られたか、エルサのことが通報されたか不明だがロージーは処刑され、ナチスドイツ軍は悲惨な状況に追い込まれ壊滅する。
すべてを経験せよ
美も恐怖も
生き続けよ
絶望が最後ではない
ーR・M・リルケー
この映画は事実に基づくシリアスな映像表現を10歳のジョジョの視点でコミカルな要素を織り込みながらみごとに描かれている。そのことは驚嘆にあたいすることでもあり児童文学的視点をもつ作品として特筆されていい。
やや年齢はあがるかもしれないが、最近みたところではメキシコのアルフォンソ・キュアロン監督作品『roma』にも、特定の視点をもっているということでは共通していると云えないだろうか。
子どもと戦争を描いた作品も多々あるけれど、個人的には『僕たちの家に帰ろう』(中国)『ミツバチのささやき』(スペイン)『泥の河』(日本)『さよなら子供たち』『禁じられた遊び』(フランス)『友だちのうちはどこ』(イラン)ライフ・イズ・ビューティフル(イタリア)なども名作として記憶にのこっている。
トロント国際映画祭観客賞受賞、第92回アカデミー賞脚色賞受賞、第77回ゴールデングローブ賞ノミネート作品賞・主演男優賞。
ノー天気な行動の美学 「わからない」という方法(橋本治著、集英社新書)2020.2.26
なるほど、云われてみればたしかに「わからない」という方法、というのは何となくわかるような気もする。著者は小説から劇作・演出、さらにイラストレーターとして注目され、編み物の本、エッセイ、古典の現代語訳といった様々なジャンルを横断的に活躍する作家で、77年「桃尻娘」で講談社小説現代新人賞佳作賞、「宗教なんかこわくない」で第9回新潮学芸賞など受賞している。
「なぜあなたはそんなにいろいろなことに手を出すのか?」という問いに対して「だってわからないから」と著者はいう。
この行動の原理とも動機ともいえる振る舞いそれ自体が方法論だと考えることはきわめて自然なことのようにもおもえるのだ。 東大文学部の国文科卒という博学でそのうえパラノチックな習性と執拗な好奇心が旺盛であれば必然的にそうなる気がするからだ。
だが、個人的にまわりを見わたせば「わかりたい」「知りたい」という気もちが、自然に行動を決定づけるかというとそうでもないことが最近になってわかってきた。とりわけ、政治や歴史または社会的な問題などについての話題になると、日常から切りはなされた無関係なできごととして意識されている人の方が多いのではないか。おそらく、そのようなタイプがこれまでの自民党をささえてきたのではないか、などとおもわずにいられない感じがするのだ。 情報のリテラシーなどという問題ではなく思考の働きそのものが、同調することでおさえられているとも考えられる。
著者は効率のよさは効率の悪さに通じるという。
「できる」とは「できないの克服」なのである。「克服すべきこと」の数と内実を明確に知った方が、よりよい達成は訪れる。・・・しかし、「わからない」を探さずに「わかる」ばかりを探したがる人に、その達成は訪れない(p104-105)
情報収集と経験主義、つまり、この「わからない」という方法の流儀は直感とも感覚ともいえる無意識のセンサーを総動員して集めた情報をある道筋にそって再構築しながら探索する知的作業ということになりそうだ。それゆえに、著者は社会現象としてある桃尻娘と枕草子の横断を試みる訳本を手がけることができるし、美術番組のシナリオをドラマ仕立てで書くこともできる。
美術番組が「わからない」と思う人にわからせるのは、わからない私自身がわかるプロセスをそのままドラマにすればいい、と考える。
「なんにも知らない人間の“なんにも知らないレベル”まで降りて行く」は、既に「セーターの本」でやったことである。私自身が、「完璧になんにも知らない人間」としてパリへ行った。台本を書く私は、「この番組の理想的な視聴者」となっていたのである。(p173)
「なぜあなたはそんなにいろいろなことに手を出すのか?」といわれるほど一見してこのノー天気な方法の美学はじつはきわめて本質的で知的な方法論であり、現実的でフレキシビリティーの高い実践的な学といえるのではないだろうか。
センダンの木 『もうひとつの曲り角』2019.10
いつだったか発掘調査の現場を見学していて考古学の専門研究員に訊ねたことがあった。日本の中世の遺跡だとしてもそれぞれの時代を経てその都度どのように変化してきたのか追跡できるのですか、と。その先生のおっしゃるにはそれがぼくたちの仕事です。
また、イタリアやギリシャの古代遺跡を前にするとほんとうに時間は横に流れるのではなく、縦に積もっているように感覚されるという。
この作品に登場する朋は、扉をあけて何気なく入っていった喫茶ダンサーというお店で自作を朗読するオワリさんというひとりの老婆と出会う。そして、オワリさんがこれまで生きてきた時間のかさなりに時空を超える子ども特有の感覚で偶然にもオワリさんの子どもの時代に遭遇することになる。つまり、もうひとつの曲がり角というのはオワリさんが子ども時代をすごしたころのもので、まわりの景色も今とはすこしちがっているけれどそこには大きなセンダンの木があった。
空想的でシュールな体験ではあるが、朋はどうしても気になって奇妙な感覚をもちながらも母からすすめられて通うことになった英会話スクールを休んではその曲がり角に行くようになる。その通りにあるお家にはみっちゃんという女の子がいてふたりはいつしか友だちになる。
だが、特別に何かがおきるわけでもなく、朋はひとりの老婆オワリさんとの出会いから時空を超えた不思議な体験する。そして、おもわず怖くなって友だちになったみっちゃんをふりきるようにその場をはなれる。
あ、だめだ、とわたしは思った。霧にのみこまれちゃう。霧にのみこまれたら、家に帰れなくなる。わたしは向きを変えて、来た道をもどりはじめた。それから急にこわくなって駆けだした。走りながら、わたしはいつのまにか泣きだしていた。もうみっちゃんには会えないんだ、と思った。せっかく友だちになったのに、二度とみっちゃんのいるところへ行くことはできない。わたしは泣きながら走りつづけた。(本文p221)
「ほんとうによく来てくれたわね。あなたがこの庭に来てくれるようになってから、なんだかいろいろなことを思いだすようになったの。忘れていた子どものころのことやなんかをね。わたしはこんな年齢になったけれど、でも、ついこのあいだ、わたしもあなたみたいな子どもだったの。それがわかったの。子どものときに体験したことはそのあとの人生にもずっと影響を及ぼしつづけていたんだなってことが。長く生きてきたあいだで感じたり考えたりしたことも、もともとはあそこからはじまっていたんだと、そんなことも思って」
オワリさんはにっこりとわらった。(本文P238-239)
朋はオワリさんに「あのね、オワリさんの下の名前、なんていうんですか」というと、「わたしはね、オワリミツホです」といってノートに尾割美帆と書いてそれをみせてくれた。
個人的なことで恐縮だが、どういうわけかユベール・マンガレリの『しずかに流れるみどりの川』とこの『もう一つの曲がり角』を同時に平衡して読んでいた。日ごろはそういう読み方はできないのだが今回は何故かそうなった。
マンガレリのその小説は社会の底辺で生きる父子の日常をつぶやくように淡々と描いたものだが、ポエティックで独特のその文体はいいようのない“静けさと流れるような時間”とともに人間存在の“光と影”を感じさせる傑出した小説といえる。
みどりの川に登場する少年プリモはいわば生活力のない父とともに健気にもきめられた云いつけと祈りをくりかえしながら時間だけが流れていく。
自分だけの場所でプリモは歩く、そして大人になっていく。プリモは不思議な草の生いしげる中を歩くことでつくられるトンネルであそびながらいろいろなことを考え空想する。その現実はすさまじいのだが、ここでは子どもの空想するイノセントな感覚はいうなればひとつの救いのようでもある。
前作『地図を広げて』(偕成社)につづく長編となる本編『もうひとつの曲がり角』は何ともこれまでにない不思議なひろがりを感じさせる物語となっている。つまり、引っ越したばかりの四人家族のかかえる問題はこれまで描かれてきた作品と等しくきわめてリアリティのある描写でありながら“もうひとつの曲がり角”というファンタジックな要素がクロスしているのだ。
リアルファンタジーなどというジャンルがあるのか定かではないが、いうなればそのような空想と交差するように切実な家族の現実がリアルな感覚で丁寧に描かれた不思議な物語といえる。だが、それは著者のこれまでの営為をふり返ってみれば単なる結果にすぎないともいえる。
つまり、子どもをとりまく家族や地域、学校の問題をリアリティあふれる文体で“子ども性”ともいうべき内面的世界を誠実に描いてきたこれまでの延長線上にある必然的結果とみることもできるのではないか。ぼくはそう思う。
時空をこえて、センダンの木は何をみつめ何を話しかけられていたか分からないのだが、プリモの草のトンネルは朋やみっちゃんのセンダンの木だったのかもしれない。
家族がかかえたそれぞれの悩みと個々の問題、物語はひとつの峠をこえ家族四人のそれぞれの成長を感じさせるようにおわりをむかえる。
現実と空想のなかで『しずかに流れるみどりの川』2019.10
ユベール・マンガレリ、その存在を知ったのは『おわりの雪』をはじめて読んだことだった。そのときの衝撃はおどろくべきものだった。この文体は何なのだろう、どこに由来しているのだろう、とこの作家のことが気になって仕方がなくなったことをおぼえている。
本著『しずかに流れるみどりの川』は田久保麻里さんが訳者あとがきでふれているように『おわりの雪』と対をなすようにも感じられるが、小説として最初に発表されたのはこちらの『しずかに流れるみどりの川』の方ということらしい。
つぶやくように淡々と語る散文の形式、このポエティックな文体はいいようのない“静けさと流れるような時間”とともに人間存在の“光と影”を感じさせるところがある。
トンネルを歩きながら、ぼくはいろいろなことを考えたけど、気持ちが暗くなるようなことはひとつも考えなかった。だれもが歩きながら頭のなかでくりひろげるような、ごくありふれたことだ。(p30)
プリモだけの場所、この不思議な草の生いしげるひろい草原をプリモは歩く。歩くことでつくられるトンネルでプリモは歩きながら考えつづけそしておとなになっていく。
本著は不安と隣り合わせで生きるやりきれない家族の現実を深々と雪が降りつづけるように描いた『おわりの雪』と同様けっしてドラマチックな出来事があるわけではない。
いうなれば生活力のない父とともに健気に生きる息子プリモの現実と空想のなかでゆれ動く内面世界をきびしい現実にかさねるようにその日常が淡々としてみごとに描かれていて感動的だ。
「金のことは心配するな、おまえがそんなことを心配するな」ぼくはなんて返事すればいいのかわからなかった。長椅子にもどり、父さんがあたらしく煙草に火をつけているあいだに床に落ちたコーヒー缶をひろって、となりの席に置いた。ぼくは悲しみでいっぱいだった。(p124)
貧しくもきびしい現実と空想のなかでプリモは父の言いつけを守り、気づかいながらも成長していく。だが、不思議なことに物語はだんだんと作品の主題を浮き彫りにしその重みを感じさせるようになっていく。
電気をも止められた貧苦の生活のなかで貯めた“なけなしのお金”をもって父子は街中へでかけ、レストランで食事する場面の描写は読者にすさまじい現実を突きつけ教会での最終章へとつづいていく。
その夜、ぼくは川の夢をみた。以前住んでいた町には川が流れていたから。水底に生えた藻のせいで、みどり色にみえた。みどり色のしずかな川だ。銀色の魚が流れにさからいながら水中にたたずんでいた。魚のからだが、藻のように波うっていた。町のことはすっかり忘れてしまったけれど、川のことはよく憶えていた。ぼくがその町をなつかしくおもったのは、そこに川が流れていたからだ。(p39)
プリモが歩く草のトンネル、マスを捕まえた父と子の会話、つるバラを育てるための決められた作業と祈り、現実と空想が錯綜するように時間だけが流れていく。
みどりの川の流れは何を意味するのか、「川の支流を手にする」とはどういうことなのか・・・・・。
プリモのようにやりきれない現実、究極的な状況のなかで前向きに成長をつづける子どもを描いた映画を想起させる。『泥の河』のノブちゃん、『ミツバチのささやき』のアナ、『ニューシネマ・パラダイス』のトトなど。
だが、ユベール・マンガレリは児童文学作家でありながらけっして児童文学作家ではない。むしろ、子どもから大人まで幅広い読者に問いかける社会派の作家といっていい。
著者のまなざしはその境界に位置し人間存在の真実を社会の底辺に生きる者たちの日常を描くことで浮き彫りにする。この現実に対してプリモはイノセントな光なのかもしれない。
ユベール・マンガレリの最初の小説「しずかに流れるみどりの川」にありがとう。ぼくはそう言いたい。